gn to t.Y. 覚え書き

gn to t.Y.

覚え書き

仮題:スタナーと彼をめぐる話しについて 8

【8回目】

♪カンジェロが語ってくれたこと

 マーレー・フラスコが光を見ているとき、彼のとなりには若い研究員が座り、その後ろにはカンジェロが立っていた。
 マーレーがいった——「ついに光りはじめたんだ」
 カンジェロには何のことやらわからなかった。「光り?——いったい——」
「電撃だ」
「電撃?」
「そう、電撃——シビレ男が光りはじめたんだ」
 カンジェロの脳裏にイタチとムースの姿が浮かんだ。その後で彼は唇を噛んだ。できれば思い出したくはない顔だった。二人は出来の悪い手下だった。老人のイタチは子分のまま年を重ねすぎた。彼はいわゆる昔気質で——親分のためなら自身の時間さえ投げ捨てるだろう。彼は歳を重ねながら一生子分だった。ムースには脳ミソがない。彼の頭のなかにあるものはお湯だった。カンジェロは二人のことを考えると頭がいたくなった。これならば純真な小学生の方がよっぽど使いようがある。
 カンジェロは二人の間抜け顔を消し去り娘の顔に切り替えようとした。しかしそれはかなわなかった。彼はマーレー・フラスコに何かをしゃべらなくてはならなかったからだ。紳士で子どものような純粋さと機転を持つマーレーは自分の言葉に反応がかえってこないことをいやがった。それだから独りぼっちの空間は独り言で埋め尽くされていた。
「『シビレ男』というとわたしの部下が見張っている男ですか?」
 マーレーは顔満面に笑みを浮かべながら応えた——「そう! シビレ男——『スタナー』だ。彼が光りだしたんだ」マーレーはそういってパイプイスに座る若い研究員を見た。「彼はいつ頃から光りはじめているんだ?」
 若い研究員は困惑した。彼はカゼをひいたように顔を赤くした。「わ、わかりません——今日からかな? いや、ちがうだろ?——あ、すいません今日だろ? いや明日だべ——ひやあわかりません!」
 マーレーは優しく研究員の肩を抱いた。「きみ、そんなにあわてんでもいいよ。わたしだってあいつがいつごろから光りだすかわからなかったんだ。気にするな」そして「それから——きみは明日からこなくてもいいよ。若干だが言葉に問題がありそうだ。思考方法の障害かもしれない」
 カンジェロが訊いた、「いったいどういうことなんです——シビレ男——その男がなぜ光ってるんです?——光りはじめたのですか?」
「電気だよ。彼の身体の中にたくわえられていた電気がたまりきれなくなって漏れだしたのさ。彼は極力ふつうの人間のように生活しようとつとめている。それだから自分の身体から電気を漏れさせないように——つまり周囲を感電させたくないように努力しているはずだ。そうやって彼の身体の中で発生する電気は着々と封じ込められていた。それが漏れだして光っているんだ。考えて見ろ、こうなるまで——今でもそうだろう——彼の腹の中では下痢みたいにピーピー音を鳴らしながら——もっともそんな比じゃないだろうが——うなっているんだろう!」

 事実をひとつ——家族の葬儀から戻ってきたスタナーは三台のコンピュータを電気的に破壊した。彼の手袋はそろそろその材質を変えなければならなかった。たとえば電気工事用ゴム手袋——厚さが五ミリくらいあるやつに。

 マーレー・フラスコはいった——「動くものを観察するってことはなんとすばらしいことだ」
 マーレーが頂点に立つ企業には衛星という媒体があった。この衛星は地球上にあるたいがいのものを追尾することができた。彼の衛星で捕捉され常に監視されているものは多々あったが、その中にわたしが知っていた人間で、このつたない手記に登場する人物が二人いる。一人はスタナー、そしてもう一人はデジーだった。
 ただマーレーは『クレイジー・トミー』という思い切りのない人間——もう人間ではなかった——その宇宙をさまよう魂の存在を知らなかった。いや、ゴミの存在は知っていたのかもしれない——だがそれがトミーであることは知らなかっただろう——たぶん。
 スタナーは確実に気がついていた。それがトミーであることも——それはわたしとリョーコでトミーの追悼コンサートにいったときに気がついたことだった。

 スタナーはあいかわらず青いパーティションに囲まれながらキャラクタを操作していた。わたしは彼に何を作っているのと訊いた。するとスタナーはこう応えた——「『R・M・P』——ロック・ミュージック・プログラムさ」
 ロック・ミュージック・プログラム?——それはいったいなんなのだ?——それが正直な感想だった。だがクレイジー・トミーのコンサートを見た後のスタナーはどこか変わっていた。

♪二回目のトミー追悼集会

 わたしはトミーのコンサートの最中、空っぽな頭でただリョーコを守ることだけに専念していた。わたしとスタナーの間に立ったリョーコは完全に守られていたはずだ。事実その日のコンサートでは何の問題も起こらなかった。スタナーは立ったままほとんど動かずただ宙づりになっているモニターを見ていた。
 わたしは「この場にアユムがいたなら——」と思った。たぶんリョーコとアユムなら釣り合いがとれると思ったのだ。ロック・ミュージックという視点、そしてお互いの目の高さにおいて——
 リョーコはこのコンサートを二回観た。
 一回目はわたし、そしてスタナーと。
 そして二回目はアユムと二人だった。
 この二回目のコンサートはわたしが無理矢理押しつけたようなものだった。
 アユムは話しの折り、リョーコのことについて『好き』といわないまでも口にすることがあった。ピーナバーに入ったとき、彼はいつもサワコに訊くのだった——「今日リョーコさんは?」サワコが「いるわ」という。そしてアユムは「そう」——そして「ちょっときいただけ」と応える。ただそれだけだった。そうしてアユムは得もしない安心を得る。そんなアユムを何回も見ているうちにわたしは、彼がリョーコに対して特別な関心を寄せている——と思った。それは当然のことだった。亡き妻アリスにしか目のないスタナーでさえそれを感じとっていた。
「なあ、モーガン——あの小さなアユムは小さなリョーコに気があるんじゃないか?」わたしにはスタナーの言い回しを少々下品に感じたが、彼の意見にはもちろん同感だった。スタナーはいう——「サワコに話しておこうか」
「やめとけよ」とわたしはいった。サワコはとっくの間にアユムの心を察していた。

 アユムとリョーコの間には十七万五千二百時間程の差があった。しかしリョーコはアユム時間をいつか飛び越えることができる。いずれアユムは時間を放棄してしまうのだから。

♪二回目の追悼コンサート——つまりリョーコがさらわれた日

 二回目のコンサート——それはトミーの追悼コンサートツアーの最終日だった。そこでリョーコは姿を消した。彼女はディスプレイの中のトミーに連れて行かれてしまった——そう話してくれたのはアユムではない。彼は何かを説明できるほど冷静ではなかった。彼は下瞼に涙さえ浮かべていたのだ。それではいったい誰がそれをわたしやサワコに説明してくれたか?——それは頬にえぐたれたような傷を持つ女性だった。その女性の名はタミヨといった。

 タミヨはトミーの稲妻ギターの暴行により頬に傷を負った女性だった。あとから知ったこと——タミヨはそのときまだ十九歳になっていなかった。
 タミヨは訊いてもいないのに語ってくれた——彼女は通りで物乞いをしながらトミー追悼集会ツアーをすべてまわったのだという。そしていった——「いつかこういうことになると思ったのよ。あいつはそうやすやすといなくなるはずがないのよ。だいたい自分があの世にいるなんて思っちゃいない。それにあいつは自分であの世にいこうなんて決心する奴なんかじゃない。あいつにはそんな勇気なんかありはしないのよ。中途半端でまるっきり男らしさのない奴——」そして、
「——あの空っぽ野郎!」

 わたしに意外だったのは、トミーが自らの意志で時間を放棄したのではなかったということだ。それはたしかに本当だった。彼は時間を放棄するつもりなどなかったのだ。

 タミヨは説明してくれた。リョーコをさらう前、トミーは笑ったという。ビデオレコーダーにより記録された画像であるはずのトミーは、あるべき次の姿を忘れ、リョーコの顔を見て笑った。そしてトミーが次にしたことはまたも記録に反したことだった。彼は首を傾げたのである。トミーはリョーコの顔を見て笑い、そして首を傾げた——それはあきらかに記録されたトミー以外のトミーだった。タミヨはいう——
「笑ったときのトミーの顔——あの嫌らしい顔は完全にあの娘——なんていったっけ? リョーコ?——その娘に惚れちまったってこと」
 タミヨが語っている間、アユムは相変わらず下を向いて意気消沈の体だった。わたしは『惚れちまった』というタミヨの言葉にアユムが動揺することを感じた。タミヨは続けた——
「そして首を傾げたときのトミー——あれは完全に自信を失っちまったんだね。鼻っ柱をつぶされちゃったのよ」
 わたしは訊いた。「自信を失った? いったいなぜ?」
「彼女の表情さ。あいつはあの娘の顔を見て恐怖を感じたのさ。彼女はトミーを見ても笑っちゃいなかった。かんじんなことは——彼女はトミーを見ているようで見ていなかったってことさ」
 わたしは不思議だった。タミヨのけっして熱くはないさめた熱っぽさはそれなりの説得力——たぶんそれは怨念に裏付けされていた——があった。しかしなぜトミーはそれに恐怖を感じたのだ?——え?
「トミーは今までそんな目で見られたことはなかった。あいつはいつも『偶像』トミーで、崇拝される対象だった。けれどリョーコはちがった目で見ていた。彼を見るあの娘の目は——ああ、まどろこっしい!——ちがっていたんだ!
 彼女はトミーをひれ伏すようにあがめることはしなかった。それだからあいつの持っていたくだらない固定意識に迷いが生じた。——それで自信を失くしちまったのさ」

 タミヨがいうに——それは後からアユムも話したことで事実に近づいていった。
 トミーが見せた困惑の表情には寂しさもあった。そして彼は唇を噛みしめながら稲妻ギターのヘッドをリョーコに向けた(これもまた記録を無視した彼の行動だった)。ギターヘッドから放出された鮮やかな光がリョーコの頭上へ降り注がれた。大半の観客——その多くはグルービーである——は、それをレーザーによる視覚効果であると錯覚した。リョーコはその光に包まれ消えた。トミーが放射した光はプリズムで分離された七色の光で構成され、会場の中に虹をつくりだした。観客たちはそれに酔い、たかぶる感動は涙を誘った。次の日の新聞——その光が『ギミック』と称され、グルービーたちは語った。
「わたしトミーがあの光をつたって降りてくると思ったのよ!」そしてある女性は、
「あの光はトミーがくれた虹のスロープよ——彼はわたしたちに来てほしがっているんだわ!」
 その結果——数十人の女性や男性が自ら時間を放棄し、この世の生命レーダーから消えた。彼女、そして彼らもまたグルービーだった。

 結論——トミーはあの世にいくつもりなどなかった(かもしれない)。そしてリョーコに恐怖を感じた。そしてリョーコをさらった。そして自分ではないものの時間を放棄させたのだ。
 彼は人のためになることをしたか?——ひとつもしていなかった。

♪アユムの事情

 リョーコがさらわれてしまった話しをする前に——『アユムはいかにしてリョーコをトミー追悼集会コンサートツアーに誘ったか?』
 アユムはチケットを二枚持っていた。そのことをわたしは知らなかった。そのチケットはリョーコを誘うためのものだった。『もしもできたなら』である。彼は彼女がトミーを好きか、またはトミーに興味があることを知っていた。
 それだからアユムはわたしやスタナーがリョーコとトミーのコンサートに行ったことについてかなり深く悩み、落ち込んでいたらしい。わたしはそれを「昨日リョーコとトミーのコンサートに入ったんだ」とアユムにいったときに気がつくべきだったかもしれない。アユムがわたしに応えてくれた言葉はシンプルだった——「ああ、そう」
 わたしはアユムがロック・ミュージックを好きなこと(彼がトミーをどう思っているかは知らなかったが)は知っていたし、それなりの反応があると思っていた。そのときのアユムは昼休みだったのでヘッドフォンをはめていた。音量は相変わらす外部に漏れるほど高かった。彼はロック・ミュージックが好きなはずだった。ところが彼の反応はこうだった——「ああ、そう」
 アユムはその日の夜寝ることができなかったらしい。少し寝ると夢ですぐ目が覚めたという。その夢はもちろん、ゲスな外国人がリョーコをオモチャにしてしまう夢である。

 しかしアユムはそういったことをわたしに話してくれたことはなかった。アユムのいったこと、そのすべてがわたしの推測である。わたしの推測はアユムが残したノートや紙切れ、そして原稿用紙から掘り起こされている。
 わたしはその中の一部を——つとめて『普通』に書かれていたものをリョーコに見せたことがあった。リョーコはとてもうれしいといい、こうしたことは口に出していうべきことだといった。そして自分の耳——リョーコの小さな耳——で聞きたかったという。
 アユムが残した紙切れの山を見たナフカディル・モシアズは、「一円の価値もない!——だがわたしにはできないことだ」といった。
 わたしがいうべきこと。それはこうである。
「アユム、きみはたったこれっぽちなのか?」

 とにかくわたしがリョーコに、「アユムはきみといっしょにトミーのコンサートに行きたいらしい」——と口添えしたことがはじまりだった——かもしれない。いや、それがはじまりだったのだ。そのおかげでリョーコはさらわれた。だからアユムが泣く必要などなかったのだ。スタナーがわたしを慰めてくれた言葉、それはこうである。
「きみがそそのかさなくても、アユムがリョーコをコンサートに連れて行かなくても——きっとトミーはリョーコを見つけたにちがいない。テレビジョンやあらゆる電波を使って。彼はタミヨがいうようにひどく中途半端な男だったかもしれない。それも特殊にひね曲がった。けれどそれが半端じゃなかった——それだけはいえる」
 アユムはいつもポケットにチケットをしまい込んでいながら、リョーコを見ても何もいいだせなかった。彼がしていること——それは店の小さな厨房のすみで本を読んでいるリョーコを見ているだけだった。彼女の読んでいた本——それはランボーの詩集だった。リョーコは父親であるモシアズの作品を読んだことはない。彼女はこういう——「父親が作品を作り上げている姿を見たら誰もそれを読もうなんて思わないでしょうね」
 わたしはアユムの代わりに彼がリョーコに伝えるべき言葉を口にした。そのときのわたしはたぶん少しだけいい気になっていたかもしれない。こんな不細工な男でも天使になれる——そう考えたものだ。しかし正直いってわたしはつらい。だがそのときはうれしかったのだ。なぜならリョーコは戸惑いながらも「いいよ」といってくれたからである。わたしの肩によしかかっていた架空の荷が少しばかり軽くなってくれた気がした。
 アユムはリョーコと二人で会場に立った。
「あの人はとても紳士だった。わたしに何もしなかった」
 モーガンこと『わたし』——の友人はみな紳士だった。『わたし』を除いては。モシアズは忠告してくれた。
「きみは人のプライバシーを弄ぶ、何かよからぬものを気取った人間だ」
「そういうきみはどうなんだ? 贋作ばかり書いてる」
「わたしは文化を破壊しているだけだ。文化というのは『物』ではないから、いくら壊しても罪にはならないんだ。へ!——ざまあみろ!」

 わたしはタミヨにいった、「きみはトミーがリョーコをさらっていったという——しかしなぜきみはそう思うんだ? トミーは光を放っただけだ。それでなぜトミーがさらったといえる?」
「わたしは見てたのさ。リョーコは光の中に消えた。吸い寄せられるように——」タミヨはそういって頬の傷をさすった。「——わたしはあいつに借りを返さなきゃならないんだ」
 彼女のいうところの『借り』——わたしにはそれが何を意味しているのかが痛いほどわかった。だがわたしにはそれを口にすることができなかった。口をはさむ人間は誰もいなかった。

「トミーの光を見たとき、何かを感じなかったか?——衝撃を受けなかったか?」——そういったのはスタナーだった。
「衝撃?」——そう問い返したのはわたしである。彼の質問がわたしにとって意外だったからだ。
「そう衝撃なんだ」スタナーはアユムを振り返った。「なあアユム、きみは何かを感じなかったか?」
 アユムは下を向いたままだった。「わからない——音の方がすごかったよ」

 唐突に——マーレー・フラスコの部屋である。
・・・・・・・・・・・・・・
「んー、感じてるね。衝撃波だ。どこから?——センサーの指向性と感度を強く——」マーレー・フラスコは独り言をくり返しながら目の前の装置をいじくる。「この位置は?——こりゃおどろいた、このあいだシビレ男がいた場所じゃないか?——おもしろいね」彼はカンジェロを見た。「きみの手下はなんと報告している?」
「例の男はトミーという男のコンサートに出かけていたようです」
「トミー? 何だそれは? イギリス人か?」
「いえ、ニッポン人。ロックンローラーです。すでにあの世にいった男です」
「あの世?——なんでそんな男がコンサートなんかするんだ?」
「追悼コンサートというやつです。シビレ男の他に会社の同僚、それに女がいたようです」
「女——そりゃおめでたい。それでこの『波』は?」
「特に報告はありません。まあ、その場にいなかったのですから。特にニュースにもなっていないようです」
「そうか。それじゃ調べさせてくれ。手下は二人いたろ——分離させるんだ——分離!」
・・・・・・・・・・・・・・

 いちばん落ちついていたのは誰だったろう?——それはサワコだった。ピーナバーをクローズさせるにはまだ三時間が必要だった。

♪月の上のトミー

 結論からして——
 リョーコは月にいた。そこにトミーもいた。リョーコはクレーターの淵に腰をおろしていた。気がたしかになってサワコゆずりの冷静さを取り戻したリョーコがトミーにいったこと——
「そのお化粧いいかげんに落としたらどうですか?」
 リョーコに背を向けたトミーの脳ミソは沸騰していた。リョーコをさらってしまった説明をつけるために。そんなトミーをかまわずリョーコはいった。
「わたしを早く帰してくれませんか?」トミーは何も応えなかった。「なぜわたしをここに連れてきたんですか?」サワコはダッフルのコートの前をあわせた。「ここはいったいどこですか?」
 トミーはある点を指さした。それがリョーコへの答えだった。リョーコはトミーが指さす方向を見た。そこにあったものは——テレビジョンや教科書、百科事典で見たもの——青いといわれている地球の姿だった。
「あなたはなぜここにいるの?」
 トミーが口を開いた。
「わからない——けれどここがいやなら他の星に行こう」

モーガン、やっぱり月の影だ」
「月?」——わたしはスタナーの言葉にそう応えた。そして彼がいっていた月の『ゴミ』を思い出した。「例の『ゴミ』のことか?」
 スタナーは自信がなさそうだった。

「知ってる?——あの星ではあなたの追悼コンサートが開かれていたのよ。もう終わったけれど」
 トミーは悲しそうな目をした。「そう、オレにとってもう時間なんて無意味なんだ」トミーはそういった。——簡単な質問なら答えることができた。そう、簡単な結論——トミーは時間を放棄していた。

♪アユムの涙

 たいがいの人間は自分の失敗を悔やむ。アユムもそうした人間の一人だった。

 わたしは驚かざるおえなかった。アユムが泣いたのである。わたしはアユムが泣き虫であることを知っていたが、実際に涙を流しているところを見たことはなかった。わたしがアユムの涙を目撃したとき、その涙は滝のようにアユムの目から溢れていた。彼はリョーコがさらわれてしまったことを自分のせいであるものとし、そしてそれを悔いたのだ。自分の過ちを悔やむ人間は多々いた。その中の一人はトミーの母親であり、そしてアユムだった。
「アユムくん、泣かないでよ」サワコの言葉はアユムを慰めようのないわたしを慰めてくれているようだった。サワコはいった——「どうしようもないことなのよ。訳のわからない話し——気がついたらリョーコがいなかった——どうしようもないわ」
 アユムの涙は止まらなかった。
 タミヨがいった——「あれはおじさんのせいじゃない。トミーのせいなのよ」

♪臭くて解決しない物事

 わたしはイタチやムースがトミーのことについて調べはじめていることに気がついた。なぜか彼らがスタナーにまとわりつくきびしさは見失われつつあった。カンジェロは話してくれた——それはスタナーが光りはじめたためだということを。
「あのシビレ男は光りはじめたんだ。モーガン、あなたは気がつかなかったか? 彼が光りはじめてからマーレーは彼を常に監視することができるようになった。誰の助けも必要とせずに。シビレ男はマーレーのレーダーに映りっぱなしだったんだ」
 わたしはムースの姿にカリフラワーを連想するようになっていた。ムースのつるつるした肌からなぜいびつでケロイドのようなカリフラワーを連想したのだろう?
 それはたぶんミルクのようなものだった。ムースは若草のように臭かったのだ。

 彼はまるで解決しない物事だった。ここでいう彼とはあらゆるものをさす。彼は遠い夜空にある星をすくいとろうとする。しかしその星は逃げてゆく。彼は自分を完結できずに道ばたで声をかけられてもしようのない男娼あるいは女娼だった。彼はときに絵の題材にされ驚きながら物乞いをする。おごられたコーヒーは錆びた味がして、それを飲みだしたとたんに胎内宇宙でうとうとしはじめる。暗闇の続くその宇宙をさまよったあげく、見つけたホワイトホールは故郷に帰ることのできない宇宙人のぽっかり空いた口の穴だった。胎内宇宙はすべてに広がり、医者が手を出すごとに宇宙のどこかに歪みが生じていた。
「誰かクスリはいらんかね?」

 故郷へ帰ることのできない宇宙人——デジーはイタチやムースたちの直接的な監視はないにしろ、マーレー・フラスコの手で常に監視されている状態にあった。マーレーの軍事衛星はすべての破壊を目撃し、すべての都市を壊滅させ、すべての場所を正確に把握することができた。わたしがトイレで一人手を激しく遊ばせている姿さえ彼らは目撃しているのだ。スタナーのキーはそこにあった。彼が衛星画像の中に見つけたゴミ——それはトミーだった。

♪一生オペレータで一生そのまま

 わたしが月に行くことができたのはデジーの力である。彼にはまだ近くの星に人を飛ばせる力が——いや、技術があった。それではなぜ彼は自分自身を地球外へ送り出すことができなかったか?——それは彼が『オペレータ』だったからである。彼は自分自身の技術に対して一生涯——それはわたしたちのそれとくらべて気が遠くなるほど長かったが——まちがいなく『オペレータ』だった。かわいそうなことに、外へ飛ばすことができたのは常に他人だったのだ。
 ——彼は一生そのままだった
 ——そう、一生そのままだ

 わたしが月に着いたとき、上を見上げると地球が間近に見えた。大きな地球がわたしにのしかかってくるようだった。わたしは常に自分の居場所を変えなければならなかった。太陽の光で燃え尽きてしまわないために。コーヒーが飲みたかったが、そうした店は見あたらなかった。ここから叫べば地球(わたしの目には南米大陸が映っていた)から落ちてくる——わけがなかった。ん?——少々疲れていた——ようだ。

 人々は絡み合い、そしてほつれながら生きていた。マーレー・フラスコの欲しかったものひとつはデジーの持つ未知数の技術だった。マーレーが最近作り出したプロトタイプ、それは後にトランスポーターと呼ばれる巨大な試験管だった。わたしの会社でそれを受け取ったのはホールを見回る警備員だった。その試験管は『真心を運びます』がモットーの運送会社がアメリカの輸送会社から引き受けたものだった。配送人は依頼者からの注文を警備員にいった——「これは会長室においてくれといわれているのですが」
 試験管は三台の台車を使い、荷物を運ぶためのエレベーターに載せられ、二十三階にあげられた。

♪デジーとの遭遇

 デジーと会うことができたのは、カンジェロのおかげだった。カンジェロはわたしにマーレー・フラスコがデジーを監視していることを教えてくれた。それに私はデジーが宇宙人であることをしっていたのだ。
 それでもずいぶんと長い間飛行機に乗ったものだ。その飛行機を持つ会社の社長は気球で世界を一周しようとした人間だった。わたしは機内におけるサービスをいっさい断った。わたしはとにかく寝た。空の上で揺られるほどいやなことはなかった。機内のなかでアテンダントはわたしにこう訊いた。
「ご気分が悪いのですか?」
 正直いって悪かった。申し訳ないがもう少し低いところを飛んでくれないか? できればフォードのバンくらいの高さで。それからあんまり揺らさないように。もしそれができなかったら——「わたしは寝るよ」

♪物事の終わりとはじまり

 終わったのか?——終わりじゃない。はじまったのか?——はじまりではない。わたしは応じよう——『すべては経過なのだ』
 はじまりはなかった。時は流れていた。運命の流れを誰も止めることはできなかった。アユムが書き残したノート——
『できないことを受け入れたい。できることへの勇気、そしてそれを知るための知恵がほしい』
 そしてこうもあった——
『前は忘れたいと思っていた。けれど忘れたら何になるだろう? つらいこともすべて覚えていなければならない。忘れてはダメなのだ。脳ミソが発熱する?——それは知恵熱だ。おさまるのを待つしかない。覚えていなければならない。記憶から抹消してはならないのだ』
 それはなぜなんだアユム?——その答えは次のノートにあった。
『忘れてどうなる。自分のメモリーが空っぽになるだけ。三十四年×三百六十五日×二十四時間=すべては何のためにある?』

【続く】